大判例

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広島高等裁判所 平成3年(ネ)426号 判決

控訴人

﨑田豊

右法定代理人親権者父

﨑田章雄

同母

﨑田テル子

控訴人

﨑田章雄

﨑田テル子

右三名訴訟代理人弁護士

佐々木猛也

池上忍

阿左美信義

津村健太郎

坂本宏一

被控訴人

広島市

右代表者市長

平岡敬

右訴訟代理人弁護士

宗政美三

右指定代理人

大馬邦人

外六名

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人は、控訴人﨑田豊に対し、金五三九〇万〇三九〇円及びこれに対する昭和六二年七月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被控訴人は、控訴人﨑田章雄及び控訴人﨑田テル子に対し、各金二二〇万円及びこれに対する昭和六二年七月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  控訴人﨑田章雄及び控訴人﨑田テル子のその余の請求を、いずれも棄却する。

二  訴訟費用は、第一、二審を通じ、控訴人﨑田豊と被控訴人との関係では全て被控訴人の負担とし、控訴人﨑田章雄及び控訴人﨑田テル子と被控訴人との関係ではこれを三分し、その二を被控訴人の、その余を控訴人﨑田章雄及び控訴人﨑田テル子の各負担とする。

三  この判決は、第一項1、2に限り、仮に執行することができる。

但し、被控訴人が金三五〇〇万円の担保を供託するときは、第一項1についての右仮執行を、被控訴人が金三〇〇万円(控訴人﨑田章雄及び控訴人﨑田テル子につき各金一五〇万円宛)の担保を供託するときは、第一項2についての右仮執行を、それぞれ免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人﨑田豊に対し金五三九〇万〇三九〇円、控訴人﨑田章雄に対し金三三四万八六四〇円、控訴人﨑田テル子に対し金三三〇万円及び右各金員に対する昭和六二年七月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行宣言

二  被控訴人

1  本件控訴をいずれも棄却する。

2  控訴費用は控訴人らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 控訴人﨑田豊(以下「控訴人豊」という。)は、昭和四九年六月二八日生まれの男子であり、控訴人﨑田章雄(以下「控訴人章雄」という。)、控訴人﨑田テル子(以下「控訴人テル子」という。)は、その父母である。

(二) 被控訴人は広島市立安佐南中学校(以下「安佐南中学校」という。)の設置者であり、訴外引地慶議教諭(以下「引地教諭」という。)は被控訴人の公務員で、昭和六二年七月当時、右中学校柔道部の顧問をしていた。

2  本件事故の発生

控訴人豊は、昭和六二年四月、安佐南中学校に入学し、同校柔道部に入部していたものであるが、同年七月二五日正午ころ同校体育館において柔道部の練習中に、同部の二年生である訴外小田徳晴(以下「小田」という。)から大外刈りの技をかけられて転倒し、頭部を強打して意識不明に陥り、右急性硬膜下血腫の傷害を負った。

3  責任原因

(一) 中学校柔道部における指導教諭の安全配慮義務

そもそも中学校におけるクラブ活動は、学校教育の一環として行われるものであり、指導に当たる教諭においては、個々の生徒の実力、技能、経験等に見合ったきめ細かな配慮に基づく指導をなし、心身共に未発達の生徒の周到な安全面への対策を講じるべきである。

特に、柔道は怪我の発生する確率の高い格闘技であるため、右要請がとりわけ強く妥当し、柔道部の指導に当たる教諭においては、何よりも生徒に対する安全への対策を最優先した指導方針、練習計画を立てて指導すべき義務があるというべきである。

(二) 引地教諭の安全配慮義務違反

安佐南中学校柔道部の指導責任者であった引地教諭は、右のとおり安全配慮義務を負っていたものであり、柔道初心者であった控訴人豊をして、回し乱取りに参加させてはならず、まして、右練習において有段者である小田とは組ませるべきではなかったのに、敢えて控訴人豊を小田との回し乱取りに参加させ、その結果、本件事故を発生させたものであって、同人に安全配慮義務違反の過失があったことは明らかである。

すなわち、

(1) 控訴人豊は、安佐南中学校に入学前には柔道の経験はなく、同校に入学して一か月後の昭和六二年五月一一日に柔道部に入部し、本件事故当日では僅かに二か月半の経験しかない柔道の初心者であった。

(2) 柔道の受け身には基本形として四種類あり、これらを中学一年生が一応体得し、相手からどのような技をかけられても咄嗟の受け身ができるようになるには、受け身だけの練習で三か月は必要とされている。しかるに、引地教諭は、控訴人豊を同年五月下旬には乱取り練習に参加させ、同年六月には三回もの対外試合にまで参加させるという強引な指導をしており、初心者に対する受け身の体得という基礎練習の指導を怠った。その結果、控訴人豊は、本件事故当日には型どおりの受け身しかできない初心者同然の状態であった。

(3) 本件事故当日は県大会の予選を兼ねた対外試合の前日であって、午前九時から事故が発生した正午ころまで三時間余りの長時間の練習が行われており、初心者である控訴人豊にとっては、きつい練習で相当に疲労困憊していた。しかも、本件事故が起きた回し乱取りは、翌日の対外試合に出る正選手のための練習であって、試合形式に準じたものであり、控訴人豊が相手にさせられた小田は、小学校の低学年から柔道を始めた有段者(初段)であった。そうすると、小田と控訴人豊の実力差は歴然としており、未だ中学二年生で判断能力の不十分な小田が、翌日に試合を控えて真剣勝負同然に得意技である大外刈りを手加減をすることなくかけたことは容易に推認でき、その結果、小田のかけた大外刈りが控訴人豊にとって受け身をし得ない状態でタイミング良く決まり、控訴人豊が転倒して重傷を負ったものであって、本件事故の発生は、柔道部の指導者である引地教諭において十分予見可能であったというべきである。

(4) なお、本件事故の背景事情として、安佐南中学校の柔道部は、本件事故発生当時、広島県下では有数の強豪クラブで、部員二三名のうち一二名もの越境入学した実力者を揃え、試合に勝つことを最優先にした指導方針がとられていた。かような方針の下に、指導責任者である引地教諭が、生徒の個性に応じた指導を怠り、教育者として最優先すべき安全配慮を疎かにしていた結果、本件事故が起きたものであり、本件事故は真に起こるべくして起きたというべきである。

以上のとおりであって、控訴人豊の柔道初心者としての能力、小田との間の懸絶した実力の差異、翌日に対外試合を控えた本件事故当日の状況等を考慮すると、引地教諭は、本件事故の発生を避けるため、入部後二か月半で、未だ型どおりの受け身しかできない柔道初心者の控訴人豊を試合形式に準じた回し乱取りの練習には参加させるべきではなく、まして、翌日の対外試合を控えた正選手である有段者の小田の対戦相手にさせるべきではなかったものであり、にもかかわらず、控訴人豊を小田との回し乱取りの練習相手とさせた同教諭には安全配慮義務違反の過失があったというべきである。

(三) 被控訴人の責任

本件事故は、前記のとおり、被控訴人の公権力の行使に当たる公務員である引地教諭が、その職務を行うについて安全配慮義務に違反した過失によって発生したものであるから、被控訴人は、国家賠償法一条一項に基づき、右事故により控訴人らが被った損害につき賠償責任がある。

なお、被控訴人は、安佐南中学校の設置者として、生徒の生命及び健康等に対する安全配慮義務を負っていたところ、引地教諭の右安全配慮義務違反は、被控訴人の履行補助者としての過失といえるから、債務不履行責任を負うものである(予備的主張)。

4  損害

(一) 控訴人豊の受傷と治療経過等

(1) 控訴人豊は、本件事故が発生した昭和六二年七月二五日、日比野病院に入院して右急性硬膜下血腫と診断され、開頭術、血腫除去術及び外減圧術の手術を受けたが、意識不明の状態が約二〇日間も続き、同年九月三日には再手術を受けた。

(2) 控訴人豊は、日比野病院に昭和六二年七月二五日から同年一一月三〇日まで入院し(一二九日間)、同年一二月一日から平成元年七月一一日まで通院した(実通院日数四六日)が、この間、昭和六三年四月安佐南中学校の一年生に再入学したものの、記憶障害、傾眠傾向が持続し、学業成績は著しく低下して多弁、喜怒哀楽の激化などの性格変化や女性の下着窃盗などの異常行動が見られるようになった。さらに、平成元年五月からは、てんかん様発作、全身けいれん発作が起きるようになり、同年六月一三日から七月一日まで日比野病院に緊急入院した(一九日間)。

(3) その後、控訴人豊は、次のとおり入、通院治療を受けた。

平成元年七月一八日から同年一二月六日まで九州大学附属病院精神科に入院(一四二日間)

同年一二月七日から平成二年四月一九日まで同病院精神科に通院(実通院日数六日)

平成二年六月二三日から平成三年二月二五日まで北九州市内の医療法人社団翠会八幡厚生病院に通院(実通院日数六日)

平成二年八月一四日から平成三年四月一七日まで広島大学付属病院精神科に通院(実通院日数九日)

平成三年四月二二日から同年一〇月一四日まで精神病院である国立療養所賀茂病院に入院(一七六日間)

同年一〇月二五日から同年一一月二五日まで同病院に通院(実通院日数四日)

この間、控訴人豊は、平成二年一月に東原中学校養護学級に編入し、平成三年三月に同校を卒業して、同年四月、県立広島養護高校に入学したが、右入、通院のため学業を続けることが到底できず、同年八月に中途退学した。

(4) さらに、控訴人豊は、右入、通院治療にもかかわらず症状が寛解せず、母親である控訴人テル子に刃物を突きつけるなどの異常行動に出るため、平成三年一一月二五日から平成五年四月五日まで児玉病院精神科に入院し、同年四月六日から同病院に通院していたものの、家出や女性の下着窃盗などが続き、同年六月一八日から同病院に再入院して現在に至っている。

(5) 控訴人豊は、平成五年三月、日本体育・学校健康センター法施行規則三条により、「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、終身労務に服することができないもの」として、後遺障害等級表三級の認定を受けた。

(二) 控訴人豊の損害

(1) 入、通院慰藉料 五〇〇万円

控訴人豊は、本件事故により前記のとおり受傷して入、通院を余儀なくされており、少なくとも平成元年一二月六日までの二年四か月の入、通院については慰藉料が認められるべきであり、その金額は五〇〇万円が相当である。

(2) 後遺障害慰藉料 一七八〇万円

控訴人豊は、前記入、通院治療にもかかわらず、記憶力低下、右手の震え、麻痺等があり、何時けいれんが起きるかもしれない状態で、性的異常行動も出ている。このため、中学、高校の就学も通常どおりにはいかず、本件事故による右脳萎縮により一〇才八か月程度の知能しかなく、養護高校さえ卒業できずに、精神病院への入、通院を繰り返す状態にある。

控訴人豊は、日本体育・学校健康センター法施行規則三条により後遺障害等級表三級の認定を受けており、右後遺障害による慰藉料としては、右認定により支給された一七八〇万円が相当である。

(3) 逸失利益 六三〇〇万四三六一円

控訴人豊は、本件事故当時一三歳の健康な男子であったところ、右のとおり、本件事故により、後遺障害等級表三級の認定を受けており、労働能力を一〇〇パーセント喪失した。本件事故当時の昭和六二年度の男子労働者の全年令平均年収は賃金センサスによると四四二万五八〇〇円であるから、同人が就労可能な六七歳までの逸失利益の損害は、ライプニッツ係数により中間利息を控除して算出すると、次式のとおり、六三〇〇万四三六一円となる。

442万5800円×14.2357=6300万4361円

(4) 入院雑費 二八万九〇〇〇円

控訴人豊は、前記のとおり、本件事故により、昭和六二年七月二五日から平成元年一二月六日まで、日比野病院に一二九日間と一九日間、九州大学付属病院精神科に一四二日間、それぞれ入院しており、この間の入院雑費を一日当り一〇〇〇円として計算すると二八万九〇〇〇円となる。

(5) 付添看護料 七四万円

控訴人豊は、前記日比野病院への入院期間中、医師の指示により母親である控訴人テル子の付添を一四八日間要した。右付添看護料を一日当り五〇〇〇円として計算すると七四万円となる。

(6) 弁護士費用 四五〇万円

(7)損益相殺と請求金額

右(1)ないし(6)の合計金額は九一三三万三三六一円であるところ、控訴人豊は日本体育・学校健康センター法により一七八〇万円の支払を受けたので、これを損益相殺すると、残金は七三五三万三三六一円となり、被控訴人に対し、その内金として五三九〇万〇三九〇円の支払を請求する。

(三) 控訴人章雄の損害

(1) 慰藉料 三〇〇万円

控訴人章雄は、控訴人豊の父親であり、控訴人豊が本件事故により意識不明のまま開頭手術を経て生死の間をさまよう約二〇日間は死にもまさる苦痛を受け、その後も控訴人豊の前記症状や異常行動、精神病院への入院などにより言語に絶する精神的苦痛を受けている。

これを慰謝するには三〇〇万円が相当である。

(2) 休業損害 四万八六四〇円

控訴人章雄は、本件事故により、昭和六二年七月二五日から同年八月一日まで控訴人豊に付き添い、その間、勤務を休んだため、四万八六四〇円の休業損害を被った。

(3) 弁護士費用 三〇万円

(4) 小計 三三四万八六四〇円

(四) 控訴人テル子の損害

(1) 慰藉料 三〇〇万円

控訴人テル子は、控訴人豊の母親であり、控訴人章雄と同様に、控訴人豊の本件事故により精神的苦痛を受けており、これを慰謝するには三〇〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用 三〇万円

(3)小計 三三〇万円

よって、控訴人らは、被控訴人に対し、控訴人豊において金五三九〇万〇三九〇円、控訴人章雄において金三三四万八六四〇円、控訴人テル子において金三三〇万円及びこれらに対する本件事故発生日の翌日である昭和六二年七月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求原因に対する認否ないし反論

1  請求原因1の(一)、(二)の各事実は認める。

2  同2の事実のうち、控訴人豊が昭和六二年四月に安佐南中学校に入学し、柔道部に入部していたこと、同控訴人が同年七月二五日同校体育館において柔道部の練習中に同部の二年生の小田から大外刈りの技をかけられたこと、同控訴人が搬入された病院で右急性硬膜下血腫の診断を受けたこと、の各事実は認め、その余の事実は不知。

3  同3の(二)の事実のうち、引地教諭が安佐南中学校柔道部の指導責任者であったこと、小田が柔道初段であったこと、の各事実は認めるが、その余の事実は争う。

控訴人豊は、昭和六二年四月二〇日から安佐南中学校の柔道部に仮入部し、その翌日から練習に参加していたもので、本件事故当日までには受け身を十分に体得していた。柔道の受け身は、概ね二、三週間の練習で習得でき、控訴人豊は、柔道部に入部後、同年五月上旬までは専ら受け身だけの練習を行い、その後も毎日の練習過程で受け身の練習を継続し、同年七月初旬からはクラブ活動以外に町道場で柔道に励んでいたのであるから、受け身の練習は十分に行っていた。

引地教諭は、全日本柔道連盟の六段の資格を持ち中学校における柔道指導歴は本件事故当時二九年にも及び、生徒の判断能力や技能に応じた指導を行っており、控訴人らが主張するように試合に勝つことを最優先にした強引な指導は行っていない。

同教諭は、安佐南中学校柔道部の練習には必ず立ち会い、常々部員に対し、「力まかせに投げるのではなくタイミングで投げる。」「引き手を離さず、受け身を確実に行う。」などの指示を与えていた。

また、同教諭は、実際に控訴人豊を投げてみて、受け身が習得できていることを確認したうえで、同年五月二一日から乱取り練習に参加させている。

本件事故当日、引地教諭は、普段どおりに練習開始から立ち会い、回し乱取りの練習中も、よく見える位置から部員の動きを監視しており、控訴人豊が疲労困憊していたことはなかった。

本件事故が発生した回し乱取り練習は、試合前の一週間に限り行われていたものであるが、通常の乱取り練習と同様であり、控訴人豊は受け身を習得していたのであるから、引地教諭が同控訴人を右練習に参加させたことに何らの過失はない。

また、乱取り練習においては、技能の高い相手と行うことが技能の上達にも繋がり、むしろ、初心者同士を組ませるよりも有段者と組ませた方がきれいに技をかけることができ、安全であるといえるから、引地教諭が控訴人豊を小田と組ませたことにも過失はない。

本件事故の際、小田が控訴人豊に掛けた大外刈りは、控訴人らが主張するように危険な技ではなく、基本的で安全な技であり(文部省編「学校体育実技指導資料第二集柔道指導の手引」〈書証番号略〉)、控訴人豊は本件事故前にも小田と乱取り練習などを経験し、その際、大外刈りを掛けられたこともあったが、受け身は十分できていた。

結局、本件事故は、柔道練習の一連の攻撃、防御の動作の中で起きた偶発的なものであり、引地教諭には控訴人らが主張する安全配慮義務違反の過失はない。

4  同3の(三)の主張は、いずれも争う。

5  同4の(一)の事実のうち、控訴人豊が昭和六二年七月二五日から同年一一月三〇日まで日比野病院に入院し、その後も通院治療を受けたことは認め、その余の事実は不知。

同4の(二)ないし(四)の事実のうち、控訴人豊が日本体育・学校健康センター法施行規則により一七八〇万円の支給を受けた事実は認め、これを有利に援用するが、その余の控訴人らの各損害の事実はいずれも争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者

控訴人﨑田豊は昭和四九年六月二八日生まれの男子であり、控訴人﨑田章雄、同テル子はその父母であること、被控訴人は安佐南中学校の設置者であり、引地教諭は被控訴人の公務員で、昭和六二年七月当時、右中学校柔道部の顧問をしていたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二本件事故の発生

控訴人豊は昭和六二年四月安佐南中学校に入学し同校柔道部に入部していたものであるが、同年七月二五日正午ころ同校体育館において柔道部の練習中に同部の二年生である小田から大外刈りの技をかけられたことは、当事者間に争いがなく、証拠(〈書証番号略〉、原審証人引地慶議(第一回)及び同小田徳晴の各証言)によれば、控訴人豊は、右技をかけられたことによって頭部を強打して意識不明に陥り、右急性硬膜下血腫の傷害を負ったことが認められる。

三責任原因

1  本件事故に至る経過等

前記争いのない事実に加えて、証拠(〈書証番号略〉、原審証人引地慶議(第一、二回)、同小田徳晴の各証言、原審控訴人章雄及び当審控訴人テル子の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

(一)  控訴人豊は、昭和六二年四月に安佐南中学校に入学し、同年四月二〇日に同校柔道部に仮入部し、同年五月一一日から正式の部員となった。同人は、小学校四年生の後半からバレーボールのスポーツ少年団に所属していた以外に運動歴はなく、それまでに柔道の経験は全くなかった。

(二)  控訴人豊は、右仮入部期間中、三日間程見学をした日もあったが、七日間は引地教諭から柔道の基礎知識の講義を受けたり、受け身の練習にも加わり、正式入部後は、試験の期間等を除いて、月曜日から土曜日まで毎日二時間程の練習に参加した。なお、同控訴人は、同年六月中旬ころから川口一郎が主催する道場(川口道場)に週二回程通って柔道の練習を続けていた。同控訴人は、本件事故当時、身長161.3センチメートル、体重60.6キログラム(〈書証番号略〉の看護記録による。)で、同校柔道部の一年生の中では身長が一番高かった。

(三)  引地教諭は、全日本柔道連盟の六段で、教員に採用された昭和三六年から中学校の生徒に対する柔道の指導に当たってきており、広島市教育委員会が主催する中・高等学校柔道指導者講習会の指導者にもなっていた。同教諭は、控訴人豊を含む柔道初心者の一年生に最初は専ら受け身だけの基礎練習をさせたが、二週間程練習すれば、後ろ受け身、横受け身、前受け身、前回り受け身の四種類の受け身をほぼ習得できると考えており、右指導方針の下に、約二週間の受け身練習の後、立ち技の練習に進ませた。

(四)  引地教諭は、立ち技の練習に進んだ控訴人豊らに、まず、打ち込み練習(投げ技に入る前の、崩し、引き手、足の運び等を繰り返し行う練習で、かかり練習ともいう。)をさせ、次に、投げ打ち込み練習(約束した技をかけて相手を投げる練習で、約束練習ともいう。)をさせた後、同年五月二〇日ころからは、乱取り練習(自由に技をかけ合う練習で、自由練習ともいう。)に進ませた。乱取り練習は、相手がどのような技をかけてくるか分からないため、約束練習に比べると危険を伴うものであり、受け身の習得が条件となるが、引地教諭は、自ら生徒に技をかけて受け身の習得度を確認する方針をとっており、控訴人豊に対しても、乱取り練習に進ませる前に右確認を行っている。

なお、同教諭は、控訴人豊らが右約束練習から乱取り練習に進んだ後も、受け身の練習を毎日の練習の中に取り入れて行わせてきた。

(五)  引地教諭は、控訴人豊らが乱取り練習に進んだ後、当初は初心者の一年生同士を組ませ、次第に上級生の相手をさせるようにしたが、危険防止のため、常々、部員に対し「受け身を確実におこなうこと。」、「投げる方は、力任せではなく、タイミング良く投げ、引き手を離さないこと。」などの注意を与えていた。また、同教諭は、校務等に支障がない限り、必ず柔道部の練習には立会っており、立ち会えない場合は、練習を中止するか、キャプテンに練習内容を指示するようにしていた。

(六)  本件事故において控訴人豊の相手となった小田は、中学二年生の柔道部員で、小学校一年生のときから前記川口道場に通っており、昭和六二年五月に初段の資格を取得した有段者であった(初段の資格は満一四歳から取得できるもので、同人は昭和四八年五月生まれであるから、資格ができてすぐに初段を取得したことになる。)同人は、二年生の部員からは唯一人選ばれて安佐南中学校を代表する正選手(総員五名で、同人以外は三年生である。)となっており、大外刈りは同人の得意技の一つであった。

(七)  安佐南中学校の柔道部は、広島市内の中学校では強豪チームとして知られており、本件事故当時、二三名の部員のうち初段の資格を有する者が八名おり、その後三名が初段を取得したので、有段者が合計一一名となった。なお、小田は、安佐南中学校の校区外に居住しており、同校の柔道部に入部するため、いわゆる越境入学して同校に入学しており、同人のような部員が他にも数名いた。

(八)  控訴人豊は、乱取り練習をするようになってから、小田とも数十回にわたり相手となっており、同人から大外刈りをかけられたこともあったが、そのときは受け身が一応できており、本件のような事故になることはなかった。なお、同控訴人は、引地教諭の指導の下に、昭和六二年六月ころから、Cチーム(一番弱いチーム)の一員として、三回程対外試合に参加している。

以上の事実が認められる。

右認定に反し、控訴人らは、控訴人豊が柔道部に入部したのは、昭和六二年五月一一日からであると主張し、原審控訴人章雄及び当審控訴人テル子の各本人尋問の結果中には、右主張に沿う供述部分があるが、引地教諭の原審(第一回)での証人尋問の結果及びこれにより成立を認める〈書証番号略〉(同年度の安佐南中学校柔道部名簿)に照らすと、右供述は措信し難く(右柔道部名簿には、控訴人豊は他の二名の新入部員と共に欄外に手書きで記載されているが、前掲引地証言によれば、確定的入部が遅れたことによるもので、同年四月二〇日の仮入部からの練習出席の印は同部マネージャーが記入したことが認められ、右出席の記入が偽造されたものとまでは認め難い。)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  本件事故発生の状況等

前記争いのない事実に加えて、証拠(〈書証番号略〉、原審証人引地慶議(第一、二回)、同小田徳晴の各証言及び弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

(一)  本件事故当日の昭和六二年七月二五日は、夏休みに入っており、翌日に広島県下の中学校選手権大会を控えて、午前九時から練習が開始された。引地教諭は、練習開始から立ち会っており、控訴人豊に普段と変わった様子は見られなかった。

(二)  当日の練習は、普段と同様に、準備体操から始まり、受け身、打ち込み、投げ打ち込み、乱取り練習と進められたが、次いで、翌日の大会のための強化練習として、回し乱取り練習が行われた。

(三)  回し乱取り練習とは、乱取り練習の一種であるが、正選手の部員に対し、他の部員が一人ずつかかっていき、原則として三本の技が決まると次の部員に替わっていくというもので、主要な目的は、対外試合に出る正選手のための強化練習であり、引地教諭の指導の下に、試合前の約一週間に限り行われていた。

(四)  同日の正午ころ、控訴人豊は、回し乱取りの練習において、正選手である小田の相手となったが、小田から大外刈りをかけられ、その技が極めてタイミングよく決まったため、体が宙に浮き、小田が引き手を離さなかったものの、同人も勢いがついたまま控訴人豊の体と重なるように前方に倒れ込んだ結果、同控訴人は、後方に頭から転倒して、頭部を柔道用畳に強打した。

(五)  控訴人豊は、右転倒した後、上体を起こそうとしたが、その場に倒れ込み、柔道場の隅に運ばれて、引地教諭からタオルで胸、頭等を冷やす応急処置を受けた。しかし、同控訴人は意識が戻らず、口から泡状のものを吐き、痙攣を起こしたため、同教諭は他の部員に命じて救急車を手配し、間もなく到着した救急車により、同日午後〇時四五分ころ日比野病院に搬入された。

(六)  控訴人豊は、同日、日比野病院において、右急性硬膜下血腫と診断され、直ちに入院手続がとられて、開頭術、血腫除去術等の緊急手術が行われたが、意識不明の状態が約二〇日間続いた。

以上の事実が認められる。

ところで、引地教諭は、原審(第一、二回)での証人尋問において、控訴人豊が小田から大外刈りをかけられた際に受け身をした旨証言するが、一方では、小田の背中の方から見ていて同控訴人が受け身をした瞬間は見ていないとも証言しており、むしろ、同控訴人の重度な頭部の受傷状況や前掲小田証言などによれば、小田の右技が極めてタイミング良く決まり、勢い余って同人が同控訴人の体と重なるように前方に倒れ込んだため、同控訴人は、受け身もできない状態で宙に浮いた体が頭部から後方に落ちたものと認められる。

3  中学校における柔道指導のあり方と安全対策の重要性

証拠(〈書証番号略〉、原審証人川口一郎、同守山洋、当審証人吉岡敬祐、同中谷雄英の各証言及び弁論の全趣旨)によれば、次のとおり認められる。

(一)  柔道は、我が国古来の武技の一つとして発達してきた格闘技であり、相手との格闘的な対応の中で旺盛な気力、礼儀、克己、公正、遵法などを養い、これによって身体及び精神の発達に貢献するという特性をもったスポーツである。柔道では、相互に激しい闘志をもって自己の最高の能力を発揮して技能を競い合う必要があるが、勝敗にこだわると行動の仕方に正しさを欠く傾向をもちやすく、互いの激しい闘志を適切に抑制しながら、相手を尊重し、公正な態度で勝敗を争う行動が要求される。

(二)  中学校における柔道指導は、身体的、精神的発達に貢献するという柔道の右特性を生かすことを目的としたものであって、文部省は、その観点から、中、高校生に対する体育実技での柔道指導について「柔道指導の手引」(〈書証番号略〉、以下、「手引」という。)を作成しているが、クラブ活動における柔道指導にあっても、右手引に準拠した指導が求められるところである。

(三)  中学校では、柔道をはじめて学習する生徒が大部分であり、中学生は精神的にも未発達で、筋力の発達も十分でないことを考慮して、基本動作を正しく身につけるとともに対人技能を習得し、技能の程度に応じた練習や試合ができるように指導することが、学習効果を高め、怪我を防止するためにも必要である。基本動作としては、投げられた場合の身体への衝撃を少なくし、安全に身をこなす受け身が最も重要であり、後ろ受け身、横受け身、前回り受け身及び前受け身の四種類の受け身を、反復、継続して練習させ、次いで、崩し、体さばきとの関連を身につけさせ、更に、投げ技と結びつけて多様な場面に即した受け身を練習させる必要がある。なお、中学校から柔道を始めた初心者に対し、まず、受け身だけを徹底的に指導する必要があることに異論はないが、その期間については、いずれも柔道高段者で青少年に対する指導歴もある柔道家の中でも、一、二週間で十分とする立場もある(原審証人川口一郎及び当審証人中谷雄英の各証言)一方、二、三か月は必要で、いかなる技をかけられてもこれに対応できるだけの受け身を習得するには三、四か月は要するとして、短期間で受け身が習得できるとする意見に批判的な立場もある(原審証人守山洋及び当審証人吉岡敬祐の各証言)。

(四)  投げ技の練習としては、生徒の体力、技能の程度に応じた無理のない適切な指導計画が求められ、まず、かかり練習(同じ技を繰り返し練習し、足の運び方、崩し、体さばき、技のかけ方、力の用い方などを身につける練習)から入り、次いで、約束練習(技や移動条件を互いに約束して行う練習)から自由練習(互いに約束なしで自由に技をかけあう練習)へと段階的に進める必要がある。自由練習は、かかり練習や約束練習と比べて柔道の特性が発揮され、生徒の興味も生まれて、より高い教育的効果が期待できるが、それだけに危険を伴うものであり、受け身の習得が絶対条件となる外、一般的留意事項として、最近は勝負にこだわって試合と同じように行う傾向がみられるが、それではかける技に無理が生じて姿勢も偏ったものになり、正しい練習とはいえないこと、相手を尊重する態度が必要で、旺盛な気力を伴った練習態度と、同体に倒れないなど安全に配慮する態度を身につけるようにすることなどが指摘されている(手引五四頁、一二九頁から一三〇頁など)。

また、練習相手については、学習意欲を高め、対人技能の効果的習得のために、技能程度の同じ生徒同士の練習だけでなく、技能程度の高い相手とも練習する工夫が採用されてよい(手引四〇頁)が、その場合、技能の高い相手には、引き手を離さず、技能の低い相手が受け身ができる余裕をもって技をかけることなど、危険防止についての指導を徹底する必要がある(原審証人守山洋及び当審証人吉岡敬祐の各証言、なお、当審証人中谷雄英も、有段者が初心者に乱取り練習で技をかける場合には、実力差を考慮して、受け身をしやすいように余裕をもって技をかけ、無理な技はかけないよう指導する必要がある旨証言している。(同人証言調書76項))。

(五)  次に、試合は、各人が規則に従って技能、体力、精神力を全て発揮して試み合うものであり、柔道の特性を最高に発揮するものであるが、学校における柔道は、常に教育的立場にたって、安全に留意し、相手を尊重して、勝負にこだわることを避ける指導を行う必要がある。柔道の試合は、元来無差別を原則としているが、中学校、高等学校の試合では、柔道の技能に応じた試合を行う配慮をすべきであり、技能差のある者との対戦は興味や安全面から好ましくなく、使用する技は、学習した範囲の技とか固め技のみを使用するとか、制限を加えて行うことが望ましいとされている(手引一二五頁)。

(六)  なお、本件事故当日、小田が控訴人豊にかけた大外刈りは、技を投げる方「取」が右足を、投げられる方「受」の右足外側から振り入れ、右膝を曲げてその膝裏で「受」の右膝裏を後方から刈り上げて後ろに投げ倒す技であり、中学校の体育実技でも一年次二〇時間の授業で一四ないし一五時間の段階で学習することになっている基本的な投げ技である。

しかし、相手の重心が右足に移った瞬間に刈り上げて後方に倒す技であるため、後頭部を打つ危険があり、これを防止するには、「受」の側が強い後ろ受け身をすることと、「取」の側が引き手をしっかり持って離さないことが必要である(手引五四頁、一〇三頁から一〇四頁)。

4 本件事故の原因と引地教諭の安全配慮義務違反の有無

(一) 本件事故は、前記認定のとおり、試合を翌日に控えた回し乱取りの練習中に、中学二年生である小田が一年生の控訴人豊に大外刈りの技をかけ、その技が極めてタイミング良く決まり、勢い余って同人が同控訴人の体と重なるように前方に倒れ込んだため、同控訴人は受け身もできない状態で宙に浮いた体が頭部から後方に落ちたことにより頭部を柔道用畳に強打して発生したものである。

被控訴人は、本件事故は柔道練習の一連の攻撃、防御の動作の中で起きた偶発的なものであると主張するが、確かに、柔道は相互に激しい闘志をもって技能を競い合う格闘技であって、瞬時に相手の隙をついて技をかけ合う過程で偶発的に相手の身体の要部に思いがけない打撃を与える危険を常に孕んでおり、本件事故もそのような偶発的要因によって発生した側面があることは否定できないといえる。しかしながら、一方において、柔道は互いの激しい闘志を適切に抑制しながら相手を尊重し勝敗を争うスポーツであって、右危険を内在するだけに安全面の配慮を欠いてはならないものであり、とりわけ、身体的、精神的発達に貢献することを目的とした学校教育の一環としての柔道、ことに、心身共に未発達な中学校の生徒に対する柔道の指導にあっては、右安全面への十全な配慮がその指導に当たる教育者にとって常に求められているものといわなければならない。

このような観点から、本件事故の原因を考察した場合、果たして右偶発的要因のみを強調して本件事故が避けることのできなかったものとして済ませるには、次の点から疑問があるといわざるを得ない。

すなわち、まず指摘されることは、大外刈りをかけた小田と、これを受けた控訴人豊との技能の差である。前記認定のとおり、小田は、小学校一年生から柔道の経験を有し、満一四歳の資格年令に達してすぐに初段を取り、安佐南中学校柔道部では二年生として唯一人正選手に選ばれていた者であり、一方、控訴人豊は、体格こそ良かったものの、同校に入学後に始めて柔道を経験し、本件事故当時は、仮入部から三か月程度、正式の入部からは二か月余りの練習しか積んでいなかった者で、クラブ活動以外に町の道場で一か月程度の練習をしていたことを考慮に入れても、その経験年数等からして、小田と控訴人豊との柔道の技能差には格段の差があったものと認められる。そして、高い技能を有した者が、初心者で技能の低い者に柔道の技をかけた場合、技能の差がある程容易に技がかかり、かつ、タイミング良く技が決まり易いことは当然であって(共に柔道高段者である当審証人吉岡敬祐(同人証言調書一〇三項)、同中谷雄英(同人証言調書一四二項、一四八項)も、その旨証言している。)、本件事故において、小田の大外刈りが控訴人豊に対し極めてタイミング良く決まったことの原因として、右両名の間に柔道技能の明らかな差異があったことを指摘せざるを得ない。

次に指摘されることは、本件事故が、翌日に試合を控えた回し乱取りの練習中に発生したことである。前記認定のとおり、回し乱取りは、自由練習である乱取りの一種であるが、主たる目的は、対外試合に出場する正選手のための強化練習であって、原則として三本の技を決めて次の相手と交替していくという形態からして、正選手の側は、通常の乱取り練習とは異なり、ついつい技を決めることに気持ちが逸って、相手が受け身をできるように余裕をもって技をかけるという配慮も薄れがちになることは十分推認できるところである。しかも、本件事故当日は、翌日に広島県の中学校選手権大会を控えており、正選手の小田としては、勢い翌日の試合を念頭に置いた真剣勝負に近い態度で技をかけることになり、回し乱取り練習といっても、試合に準じた対戦態度をとったものと推認され、これらが、小田が控訴人豊に大外刈りをかけた際、引く手は離さなかったものの、勢い余って同控訴人の体と重なるように前方に倒れ込むという余裕のない技のかけ方につながり、そのため、同控訴人が受け身もできない状態で頭部から後方に落ちて本件事故が発生したという側面を軽視することはできない。

(二) 以上の点を考慮し、前記3で認定した中学校における柔道指導のあり方に照らして、本件事故を考察すると、当日の柔道部顧問の引地教諭の指導には、生徒の安全に対する配慮に欠けるところがあったといわざるを得ない。

すなわち、引地教諭は、前記認定のとおり、自ら柔道高段者であるうえ、中学校柔道教育においては経験豊富な指導者であって、控訴人豊を含む柔道初心者の一年生に対し、当初の二週間は受け身だけの練習をさせ、次いで、打ち込み練習(かかり練習)、投げ打ち込み練習(約束練習)、乱取り練習(自由練習)と、段階的に指導しており、右受け身の練習期間についてはやや短すぎるとの批判があるものの、乱取り練習に進む前には自ら生徒を投げてみて受け身の習得度合いを確認し、その後の練習にも受け身などの基本動作の反復練習を取り入れており、このような指導は、前記手引にも準拠したもので、適切なものであったと評価できる。また、同教諭は、同校柔道部の練習には、必ずといってよい程立ち会い、乱取り練習においては、危険防止のため、常々、部員に対し、「受け身を確実に行うこと。」、「投げる方は、力任せではなく、タイミング良く投げ、引き手を離さないこと。」などの注意を与え、練習相手についても、初心者同士から次第に上級生へと進めており、これらの指導方法は、通常の乱取り練習の場面では、適切なものであったと評価できる。

しかしながら、引地教諭が、対外試合前の強化練習として取り入れた回し乱取り練習は、前判示のとおり、通常の乱取り練習(自由練習)とは異なり、正選手にとっては、技を決めることに気持ちが逸り、ともすれば、試合に準じた対戦態度をとりがちになることは十分予測できるところであって、そのため、その相手となる部員については、いかなる技をかけられても即座に対応できるだけの受け身を習得している者であるのは勿論のこと、技能格差が大きい部員を相手にさせると受け身ができない程に技がタイミング良く決まる危険性があることから、正選手と格段に技能の差がない者を選んで相手をさせるべきであったといえる(前記守山洋証人も、同証人の指導した学校の柔道部などでは、回し乱取り練習の際は、初心者に有段者の相手をさせることは危険度が高いとしてこれを避けていた旨述べている。)。

この点について、前記文部省作成の手引においても、自由練習における一般的留意事項として、最近は勝負にこだわって試合と同じように行う傾向がみられることの危険性が指摘されており、同体に倒れる無理な技はかけないよう指導する必要があり、試合に関してではあるが、技能差のある相手との対戦は安全面からも好ましくないとされているところである。

そうすると、同教諭が、本件事故当日の回し乱取り練習で、控訴人豊を正選手である小田の相手とさせたことは、両名間の明らかな技能格差や、同控訴人の受け身の習得度合(前記認定のとおり、通常の乱取り練習に対応できるだけの受け身は習得していたものと認められるが、同控訴人の柔道経験からして、試合に準じた回し乱取り練習で有段者を相手とした場合、いかなる技をかけられても即座に対応できるだけの受け身を習得していたとは到底認め難い。)からみて、中学校柔道指導において常に求められる生徒への安全面の配慮を怠ったものといわざるを得ない。

この点、前記認定のとおり、控訴人豊は、乱取り練習に進んだ後、小田とも数十回にわたり相手をし、同人から大外刈りをかけられたこともあったが、その際は受け身もできていたことが認められる。しかし、その殆どは、比較的余裕のある通常の乱取り練習でのことであって、前記回し乱取り練習の特徴を考慮すると、右事実をもって、前記判断を左右するものではない(また、それまでの回し乱取り練習で事故が発生していないとしても、前判示の考察からすれば、本件のような事故が発生する危険を孕んでいたというべきである。)。

(三) 以上のとおりであって、引地教諭は、中学校の柔道指導者として、経験豊富で、かつ、熱心な指導者であり、控訴人豊らの一年生の新入部員に対する受け身から自由練習に至る指導の過程に不適正とみられる点はなかったものと評価できるが、本件事故当日、試合に準じた回し乱取り練習において、控訴人豊を技能格差の明らかな小田の対戦相手とさせたことには、中学校柔道教育において常に留意すべき生徒に対する安全配慮義務を怠った過失があったといわざるを得ず、本件事故は、引地教諭の右過失によって発生したと認めるのが相当である。

5 被控訴人の責任

被控訴人が安佐南中学校の設置者であり、引地教諭が被控訴人の公務員で、本件事故発生当時、同校柔道部の顧問をしていたことは、当事者間に争いがなく、前記認定のとおり、本件事故は、引地教諭が学校教育の一環である同校柔道部のクラブ活動の指導中、同人の安全配慮義務違反の過失に基づき発生したものといわざるを得ないから、公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うにつき過失によって発生したものというべく、被控訴人は、国家賠償法一条一項に基づき、控訴人らが被った損害を賠償すべき義務がある。

四損害

1  控訴人豊の受傷と治療経過等

控訴人豊が、本件事故が発生した昭和六二年七月二五日、日比野病院に入院して右急性硬膜下血腫と診断されたことは、当事者間に争いがなく、右事実に加えて、証拠(〈書証番号略〉、原審控訴人章雄及び当審控訴人テル子の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

(一)  控訴人豊は、本件事故当日、日比野病院において開頭術、血腫除去術及び外減圧術の手術を受けたが、一時は生死さえ危ぶまれる状態で、意識不明のまま二〇日余が経過し、同年八月一八日ころより意識の急速な回復をみた。同控訴人は、同年九月三日頭蓋形成術(同年七月二五日にはずしていた頭蓋骨を元に戻す手術)を受け、日比野病院に、同年一一月三〇日まで入院し(一二九日間)、同年一二月一日から平成元年七月一一日まで通院した(実通院日数四六日)。

(二)  控訴人豊は、昭和六三年四月に安佐南中学校の一年生に再入学したが、記銘力低下、記憶障害、傾眠傾向が持続し、それまで学業成績は中位程度であったのが、「10」段階でほとんどの科目が「1」または「2」となるなど著しく低下して、性格変化(多弁、喜怒哀楽の激化など)や性的異常行動(女性の下着窃盗など)が見られるようになった。さらに、平成元年二月、五月にはけいれん発作を起こし、同年六月一三日には全身けいれん発作を起こして、日比野病院に救急入院し、同年七月一日まで入院した(一九日間)。

(三)  その後、控訴人豊は、平成元年七月一八日から同年一二月六日まで九州大学付属病院精神科に入院し(一四二日間)、同年一二月七日から平成二年四月一九日まで同病院精神科に通院した(実通院日数六日)。

同病院での検査では、脳波にてんかんを示唆する所見はないが、脳室拡大(右側に強い脳溝の拡大)、右半球萎縮などがみられ、同病院入院後もてんかん様発作や性的異常行動が続いた。

(四)  控訴人豊は、平成二年一月に東原中学校養護学級に編入し、平成三年三月に同校を卒業したが、平成二年六月二三日から平成三年二月二五日まで北九州市内の医療法人社団翠会八幡厚生病院に通院し(実通院日数六日)、平成二年八月一四日から平成三年四月一七日まで広島大学付属病院精神科に通院した(実通院日数九日)。

(五)  控訴人豊は、平成三年四月に県立広島養護学校に進学したが、同年四月二二日から同年一〇月一四日まで精神病院である国立療養所賀茂病院に入院して(一七六日間)、同高校は同年八月に中途退学となり、同年一〇月二五日から同年一一月二五日まで同病院に通院した(実通院日数四日)。同病院での所見では、同控訴人は軽度ないし中度の精神遅滞の状態で、疎通性は普通だが、性的異常行動(女性の下着窃盗など)が顕著で、脳波に軽度の異常を認めるというもので、てんかん発作らしき症状(真性か否かの断定は困難)もみられた。

(六)  その後も、控訴人豊の症状は寛解せず、前述の性的異常行動が続く外に、これを咎めると、遠方に家出をしたり、母親である控訴人テル子に刃物を突きつけるなどの異常行動に出るため、家庭内の監護が困難となり、平成三年一一月二五日から平成五年四月五日まで児玉病院精神科に入院し、同年四月六日から同病院に通院していたものの、同様の行動がみられたため、同年六月一八日から同病院に再入院するに至っている。

(七)  控訴人豊は、本件事故による頭部外傷後遺症について、平成五年三月に日本体育・学校健康センター法施行規則別表の障害等級第三級の「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、終身労務に服することができないもの」に該当するとの認定を受けた。

2  控訴人豊の損害

(一)  入、通院慰藉料 三〇〇万円

控訴人豊は、本件事故により前記のとおり受傷して入、通院を余儀なくされており、この間に二度にわたる頭部の手術を受けていることなどに照らすと、少なくとも、九州大学付属病院を退院した平成元年一二月六日までの二年四か月の入、通院についての慰藉料として三〇〇万円が相当である。

(二)  後遺障害慰藉料 一六〇〇万円

控訴人豊は、前記認定のとおり、本件事故後、入、通院治療にもかかわらず、脳の器質的変化として、右脳半球萎縮、脳室拡大等が存在し、記銘力、記憶力の低下、てんかん状発作、性格変化、異常行動の出現などの障害が残って、中学校は養護学級を卒業できたものの、養護高校は中途退学で終わり、その後も、精神病院への入、退院を繰り返す状態となっている。右のとおり、本件事故による同控訴人の後遺障害は、脳の器室的変化を伴った深刻なものであり、前記認定のとおり、平成五年三月に日本体育・学校健康センター法施行規則別表の障害等級第三級の「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、終身労務に服することができないもの」に該当するとの認定を受けたことを考慮すると、右後遺障害に対する慰謝料としては一六〇〇万円が相当である。

(三)  逸失利益 五九九一万九四八四円

控訴人豊は、本件事故当時、一三歳の健康な男子であった(原審控訴人章雄本人尋問の結果)ところ、本件事故により、前記認定のとおり日本体育・学校健康センター法施行規則別表の障害等級第三級の認定を受けており、労働能力を一〇〇パーセント喪失したと認められる。

そうすると、控訴人豊は、高校卒業予定の一八歳から六七歳までの四九年間就労可能であったというべきであり、昭和六二年度の男子労働者の新高卒者の平均年収は賃金センサスによると四二〇万九一〇〇円であるので、ライプニッツ係数(六七歳から一三歳を引いた五四年の係数から、一八歳から一三歳を引いた五年の係数を控除する。)を用いて中間利息を控除すると、同控訴人の本件事故当時における逸失利益の現価は、次式のとおり、五九九一万九四八四円(一円未満切捨て。)となる。

420万9100円×(18.5651−4.3294)=5991万9484円

(四)  入院雑費 二八万九〇〇〇円

控訴人豊は、前記認定のとおり、本件事故により、昭和六二年七月二五日から平成元年一二月六日まで、日比野病院に一四八日間、九州大学付属病院精神科に一四二日間、それぞれ入院しており、この間の入院雑費としては一日当り一〇〇〇円が相当と認められるから、二八万九〇〇〇円を下回らないことになる。

(五)  付添看護料 七四万円

控訴人豊は、日比野病院への入院期間中、医師の指示により母親である控訴人テル子の付添を一四八日間要したことが認められ(原審控訴人章雄本人尋問の結果)、右付添看護料は、控訴人豊の前記症状等に照らすと一日当り五〇〇〇円が相当と認められるから、その合計は七四万円となる。

(六)  損益相殺

控訴人豊が日本体育・学校健康センター法により一七八〇万円の支払を受けたことは、当事者間に争いがない。

そこで、右(一)ないし(五)の合計金七九九四万八四八四円から右一七八〇万円を控除すると、その残金は六二一四万八四八四円となる。

(七)  弁護士費用 四〇〇万円

本件訴訟の性質、認容額等を考慮すると、控訴人豊についての本件事故による弁護士費用としては、四〇〇万円が相当である。

(八)  合計 六六一四万八四八四円

右(六)の残金と(七)を合計すると、六六一四万八四八四円となる。

3  控訴人章雄の損害

(一)  慰藉料 二〇〇万円

控訴人章雄は、控訴人豊の父親であるところ、前記認定のとおり、控訴人豊が本件事故により右急性硬膜下出血の傷害を負って頭部の緊急手術を受け、一時は生死も危ぶまれる状態で二〇日間余も意識不明が続いたうえ、その後の入、通院によっても症状が寛解せず、深刻な後遺障害を残したことによって、控訴人豊の死にも比肩する程の著しい精神的苦痛を被ったものと認められる(原審控訴人章雄本人尋問の結果及び弁論の全趣旨)。

控訴人章雄の右精神的苦痛を慰謝するには、二〇〇万円をもって相当と認める。

(二)  休業損害

証拠(〈書証番号略〉、原審控訴人章雄本人)によれば、控訴人章雄は、本件事故により、昭和六二年七月二五日から同年八月一日まで控訴人豊に付き添い、その間の勤務を休んだため四万八六四〇円の休業損害を被ったことが認められる。しかし、右休業損害については、右(一)の慰藉料において斟酌されるべきものと認められ、右慰藉料額を超えての損害としては認め難い。

(三)  弁護士費用 二〇万円

右認容額等を考慮すると、控訴人章雄についての本件事故による弁護士費用としては、二〇万円が相当である。

(四)  合計 二二〇万円

4  控訴人テル子の損害

(一)  慰藉料 二〇〇万円

控訴人テル子は、控訴人豊の母親であるところ、控訴人章雄について前記判示したのと同様に、本件事故により著しい精神的苦痛を受けたことが認められ(当審控訴人テル子本人尋問の結果及び弁論の全趣旨)、これを慰謝するには、二〇〇万円をもって相当と認める。

(二)  弁護士費用 二〇万円

右認容額等を考慮すると、控訴人テル子についての本件事故による弁護士費用としては、二〇万円が相当である。

(三)  合計 二二〇万円

五結論

以上の次第で、控訴人豊は被控訴人に対し金六六一四万八四八四円とこれに対する本件事故発生日の翌日である昭和六二年七月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め得るところ、その内金である金五三九〇万〇三九〇円とこれに対する昭和六二年七月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払を被控訴人に対し求める本訴請求は全て理由があるからこれを認容すべきである。また、控訴人章雄と控訴人テル子は被控訴人に対し各金二二〇万円とこれに対する本件事故発生日の翌日である昭和六二年七月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求め得るところ、右控訴人両名の本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却すべきである。

よって、右と異なり、控訴人らの本訴請求をいずれも棄却した原判決は相当でないから、原判決を右のとおり変更することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言及び仮執行免脱宣言について同法一九六条を、各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柴田和夫 裁判官 佐藤武彦 裁判官 古川行男)

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